東京地方裁判所 平成3年(ワ)3676号 判決 1991年11月29日
原告
日下部清人
ほか二名
被告
山藤貴浩
ほか一名
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告山藤貴浩は、原告それぞれに対し、五〇〇万円及びこれに対する平成二年四月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告共栄火災海上保険相互会社は、原告それぞれに対し、四〇八万六六六六円及びこれに対する平成二年七月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
(一) 平成二年四月二七日午後七時三〇分ころ、日下部栄吉(以下「栄吉」という。)が、東京都台東区竜泉三丁目一番一一号先の通称「土手通り」を横断していたところ、被告山藤貴浩(以下「被告山藤」という。)の運転する自動二輪車(以下「被告車」という。)に衝突された(以下「本件事故」という。)。
(二) 栄吉は、本件事故により胸腹腔内臓器損傷等の傷害を受け、同日午後一〇時四五分ころ、東京都文京区千駄木一丁目一番五号所在の日本医科大学附属病院において死亡した。
2 被告らの責任
(一) 被告山藤は、被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文に基づき、栄吉及び原告らが本件事故により被つた後記損害を賠償すべき義務がある。
(二) 被告共栄火災海上保険相互会社(以下「被告共栄火災」という。)は、被告山藤との間において、被告車につき本件事故時を保険期間内とする自動車損害賠償責任保険契約(以下「自賠責保険契約」という。)を締結していた保険者であるから、自賠法一六条に基づき、同法施行令二条一項一号所定の保険金額の限度で栄吉及び原告らが本件事故により被つた後記損害額を支払うべき義務がある。
3 原告らの損害
(一) 葬儀費用 一四六万二〇八二円
原告らは、栄吉の葬儀費用として一四六万二〇八二円の支払を要した。
(二) 栄吉の逸失利益 九三一万九四六四円
栄吉は、明治四三年九月一四日生まれの男子で、本件事故当時七九歳の高齢ではあつたが、心身共に健康で、労働能力は十分にあり、焼芋屋として自営の季節的労務に従事していた。焼芋屋という業務の性質上、その年により収入に変動はあつたが、栄吉の労働能力を考慮すれば、栄吉は、本件事故に遭遇しなければ、賃金センサス平成元年第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・六五歳以上の平均賃金額である三二八万円を一・一倍した三六〇万八〇〇〇円を下らない年収を得ることができたものであるから、右金額を基礎として、生活費控除率を三割、就労可能年数を三・六九年として、栄吉の逸失利益を算定すると(今後の賃金上昇・物価上昇を考慮し、中間利息の控除は行わない。)、その額は九三一万九四六四円となる。
(三) 慰藉料 合計三九〇〇万円
(1) 栄吉の慰藉料 二四〇〇万円
本件事故は、栄吉が自宅から風呂屋へ行く途中に発生したものである。庶民にとつて風呂屋へ行くことは、日常生活上の必要事であり、かつ、ささやかな楽しみでもある。まさか当夜の風呂屋行きが一転してこの世の最後の旅立ちになろうとは、栄吉は決して予想しなかつたものであり、同人の無念さは計り知れないものがある。道路横断中に無残にも自動二輪車にはね飛ばされ、生命を奪われた栄吉の心情を察すれば、栄吉の精神的損害は少なくとも二四〇〇万円を下ることはない。
(2) 原告ら固有の慰藉料 各五〇〇万円
原告らは、栄吉の実子であり、本件事故で栄吉が死亡したことにより大変な精神的シヨツクを受けた。栄吉は、本件事故当時も年齢の割に元気で、原告らは、母親(栄吉の妻)が昭和四六年に死亡した後、残された唯一の親である栄吉がいつまでも健康であることを祈り、また、元気な栄吉の姿を見て自分たちも精神的に励まされていた。今回、栄吉が公衆の面前たる路上で無残な事故に遭い生命を奪われたことにより、原告らは言いようのない悲しみにうちひしがれている。このような原告らの心情を察すれば、原告らの精神的損害は少なくともそれぞれにつき五〇〇万円を下ることはない。
(四) 相続等
原告らは、栄吉の子であり、栄吉の右(二)、(三)(1)の損害賠償請求権をそれぞれ三分の一の割合で相続し、また、右(一)の損害額につきそれぞれ三分の一の割合でこれを負担することを約した。
(五) 損害の填補 一二七四万円
原告らは、平成二年七月二七日、被告共栄火災に対し、自賠法一六条に基づき、本件事故により被つた損害賠償額の支払を請求し、同年九月一八日、同被告から栄吉の死亡による損害分として一二七四万円の支払を受けた。
(六) 弁護士費用 各一五〇万円
4 よつて、原告らは、(一)被告山藤に対し、右損害の内金として各五〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である平成二年四月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、(二)被告共栄火災に対し、保険金額の残額に相当する各四〇八万六六六六円及びこれに対する請求の日の翌日である平成二年七月二八日から支払ずみまで同じく年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否(2項を除き、被告ら共通)
1 請求原因1(事故の発生)の事実は認める。
2 同2(被告らの責任)の事実について
(一) 被告山藤
同2(一)の事実のうち、被告山藤が被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であることは認めるが、被告山藤が原告らに対して損害賠償義務がある旨の主張は争う。
(二) 被告共栄火災
同2(一)の事実のうち、被告山藤が被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であること、同2(二)の事実のうち、被告共栄火災が被告山藤との間において、被告車につき本件事故時を保険期間内とする自賠責保険契約を締結していた保険者であることはいずれも認めるが、被告共栄火災が原告らに対して損害賠償額を支払うべき義務がある旨の主張は争う。
3 同3(原告らの損害)の主張のうち、(五)の事実は認めるが、その余は不知ないし争う。
三 抗弁(過失相殺)
本件事故の発生については、栄吉に次のとおりの過失があるから、原告らに対する損害賠償額を算定するにあたつては、栄吉の右過失を斟酌すべきである。すなわち、本件事故は、栄吉が、日没後で道路の見とおしも悪い午後七時三〇分ころ、近くに横断歩道が設けられているにもかかわらず、歩車道がガードレールで区分され、有効車道幅員が一六・五メートルの道路の横断禁止場所を、停車中の大型貨物自動車の後ろから道路中央に向けて突然飛び出したために発生したものであるから、栄吉にも相当の過失があるというべきである。
四 抗弁に対する認否
抗弁の主張は争う。
第三証拠
証拠の関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲第五ないし第七号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証、同第一二号証、原告日下部章人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一一号証並びに同本人尋問の結果及び被告山藤本人尋問の結果を総合すれば、本件事故の態様等は次のとおりであると認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
1 本件事故現場は、浅草方面から明治通り方面に通じる通称「土手通り」(以下「本件道路」という。)の東京都台東区竜泉三丁目一番一一号先路上であり、本件事故現場付近の概況は、別紙現場見取図のとおりである。本件事故現場付近における本件道路は、中央線によつて区分された片側各二車線の車道部分と、その両側に設けられた歩道部分(歩道部分の車道よりの部分にはガードレールが設置されている。)とからなつているが、このうち車道部分の幅員は、浅草方面から明治通り方面に向かう北行の二車線(以下「北行車線」という。)が合計約八・四メートル(歩道よりの第一車線が約四・八メートル、中央線よりの第二車線が約三・六メートル)であるのに対し、明治通り方面から浅草方面に向かう南行の二車線(以下「南行車線」という。)は合計約八・一メートルであり、歩道部分の幅員はいずれも約二・七メートルである。本件事故現場の南方(浅草方面側)には、本件道路と、清川方面から千束三丁目方面に通じる道路とが十字に交わる交差点(以下「本件交差点」という。)があつて、その東西南北の各方向にいずれも横断歩道が設けられ、信号機による交通整理が行われているが、このうちの北側(明治通り方面側)の横断歩道から本件事故現場までの距離は約三二・二メートルである。本件道路は、本件事故現場付近において、最高速度が毎時四〇キロメートルに制限されるとともに、終日駐車禁止、午前八時から午後八時まで転回禁止、歩行者横断禁止の各交通規制が行われているが、本件道路の両側には街路灯が点在していて夜間でも比較的明るく保たれており、本件事故現場付近においても約一〇〇メートルの見とおしが可能である。もつとも、本件事故現場付近においては、前示のように歩行者横断禁止の交通規制が行われているにもかかわらず、本件道路を横断しようとする歩行者は少なくない。
2 被告山藤は、平成二年四月二七日午後七時三〇分ころ、被告車を運転して本件道路の北行車線を浅草方面から明治通り方面に向けて進行していたが、北行車線のうちの第一車線上には多数の車両が連続して駐停車していたため、本件事故現場の約一キロメートル手前からは北行車線の中央線よりの部分を毎時約五〇キロメートルの速度で進行して本件交差点に差しかかつた。そして、本件交差点の対面信号が青色を表示していたため、被告山藤は、先行する普通乗用自動車の一〇メートル以上後方を前示速度のままで進行していたが、本件事故現場付近に差しかかり、南行車線のうちの中央線よりの車線を進行してきた大型貨物自動車とすれ違つたところ、その直後に同車の背後から栄吉が中央線を越えて被告車の進路直前に踏み出してきたため、左にハンドルを切つて衝突を避けようとしたものの及ばず、被告車は栄吉と衝突した後、左に滑走して北行車線の第一車線上に駐車中の車両に衝突して停止した。
3 栄吉は、本件事故後直ちに日本医科大学附属病院に搬送されたが、同日午後一〇時四五分ころ胸腹腔内臓器損傷により死亡し、また、被告山藤も本件事故により多発顔面骨骨折等の傷害を受けた。
二 請求原因2(被告らの責任)(一)の事実のうち、被告山藤が被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であることは当事者間に争いがなく、また、同2(被告らの責任)(二)の事実のうち、被告共栄火災が被告山藤との間において、被告車につき本件事故時を保険期間内とする自賠責保険契約を締結していた保険者であることは、原告らと被告共栄火災との間において争いがない。したがつて、被告山藤は、自賠法三条本文に基づき、本件事故により栄吉及び原告らが被つた損害を賠償すべき義務があり、また、被告共栄火災は、自賠法一六条に基づき、同法施行令二条一項一号所定の保険金額の限度で本件事故により栄吉及び原告らが被つた損害額を支払うべき義務がある。
三 そこで請求原因3(原告らの損害)について判断する。
1 葬儀費用 一〇〇万円
原本の存在につき争いがなく、原告日下部章人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証によれば、原告らは、栄吉の葬儀費用として一四六万二〇八二円の支払を要したことを認めることができるが、栄吉の年齢を考慮すると、このうち本件事故と相当因果関係のある損害として被告らに対して支払を求めることのできる金額は、一〇〇万円と認めるのが相当である。
2 栄吉の逸失利益 〇円
成立に争いのない甲第一八号証、原告日下部章人本人尋問の結果により生前の栄吉を撮影した写真であると認められる甲第九号証の一、二及び同本人尋問の結果を総合すれば、栄吉は、明治四三年九月一四日生まれで、昭和三〇年ころから屋台を引いて焼芋屋を営んできたが、昭和四四年一二月に長女の原告遠藤育子が結婚して独立し、また、その余の原告らもそれぞれ職に就いて収入を得るようになつたため、本件事故の数年前からは、焼芋屋として稼働する時間は年間を通じて極めて少なくなり、冬季でもせいぜい三日ないし四日に一日の割合で稼働していたにすぎず、その余の時間は主に魚釣りなどをして過ごしていたことを認めることができる。しかし、栄吉が、右焼芋屋の営業により本件事故当時どの程度の収入を得ていたかを認めるに足りる的確な証拠はない。
原告らは、栄吉の労働能力を考慮すれば、栄吉は、本件事故に遭遇しなければ、賃金センサス平成元年第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・六五歳以上の平均賃金額である三二八万円を一・一倍した三六〇万八〇〇〇円を下らない年収を得ることができたと主張するが、栄吉は本件事故当時七九歳という高齢であるうえ、右のとおり、本件事故当時栄吉がどの程度の収入を得ていたかを認めるに足りる的確な証拠はないのであるから、賃金センサスに基づいて栄吉の逸失利益を算定することは相当でなく、右認定の事実は、これを慰藉料算定の際の一事情として斟酌することとするのが相当である。
3 慰藉料 一四〇〇万円
右2において認定した事実のほか、かけがえのない父親を本件事故により失つた原告らの心情を考えると、その苦衷は察するに余りあるところであるが、本件事故の態様、栄吉の年齢等、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、本件事故により栄吉及び原告らが被つた精神的苦痛を慰藉するためには、合計一四〇〇万円の支払をもつてするのが相当である。
4 相続等
前掲甲第一八号証によれば、原告らは、いずれも栄吉の子であることが認められるから、栄吉の右3の損害賠償請求権をそれぞれ三分の一の割合で相続し、また、弁論の全趣旨によれば、原告らは、右1の損害額につきそれぞれ三分の一の割合でこれを負担することを約したものと認められる。したがつて、原告らが被告らに対して支払を求めることのできる金額は、それぞれ五〇〇万円となる。
5 過失相殺について
一項で認定した本件事故の態様によれば、栄吉は、東から西に向けて本件道路を横断しようとしたものであるが、前示のとおり、本件道路は本件事故現場付近において歩行者の横断が禁止されているうえ、本件事故現場の南方約三二・二メートルの地点には、信号機の設置された横断歩道が設けられていたのであるから、このような場合、栄吉としては、本件事故現場付近を横断することなく、信号機による交通整理に従つて右横断歩道上を横断すべき注意義務を負つていたものというべきである。しかるに栄吉は、これを怠り、本件事故現場付近を横断して本件事故に至つたものであるから、本件事故の発生については栄吉にも過失があるというべきであり、栄吉及び原告らの損害額の算定にあたつては、栄吉の右過失を斟酌して前記損害額から五割を減額するのが相当である。
そうすると、原告らが被告らに対して支払を求めることのできる金額は、それぞれ二五〇万円となる。
6 損害の填補 一二七四万円
原告らが、平成二年七月二七日、被告共栄火災に対し、自賠法一六条に基づき、本件事故により被つた損害賠償額の支払を請求し、同年九月一八日、同被告から栄吉の死亡による損害分として一二七四万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがないから、右金額は、三分の一の割合でそれぞれ原告らの前記損害額に対する填補に充てられるべきである。
したがつて、右金額をそれぞれ原告らの前記損害額から控除すると、もはや被告らは原告らに対し損害賠償金の支払義務を負わないものというべきである。
四 以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石原稚也)
別紙 <省略>